パチンコ談義②

 明日10月4日は「中秋の名月」とテレビで聞いたので、

今夜は東の空を見ながら歩き始めた。往きはまだ雲が多く、

見えたり隠れたり。その後風が強まり雲が飛ばされ、良く

見えるようになったが、満月ではない。帰宅してから

デジカメを持ち出して写した。月は撮れたが、周囲の

雲は写らない。

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 左縁の円周が少しぼけており、明日の晩はもっと綺麗になるだろう。

 

 パチンコとの出会いは中学時代と大昔だが、高校・大学時代は勉強と

パチンコには手を出さなかった。高校時代は大学受験しか頭に無いし、

大学ではバイトで小銭を稼いでは女の子とのデートに現(うつつ)を

抜かしていたからである。

 

 その間にパチンコの方はガラス玉が鉄球に変わっていた。

サラリーマンになってから、JR駅周辺で時間があると遊び始めた。

箱(正式には筐体という)のデザインも随分進化して面白くなっていた。

然し、台の前に立ったままで玉を1個づつ弾くので、若くなければプレー

出来なかっただろう。それでも、最高午前中から夜の8時までプレーした

こともあった。この頃は未だ景品は煙草とかチョコレート類だった。

 

 ある時点で電動パチンコが登場。機械が連続で打ってくれるので、

楽にはなったが、あっという間に千円が消え、興味を失うこともある。

更に、パチンコ店が大型化し、腰掛に座ってプレーするスタイルが

定着し、軍艦マーチが鳴り響き、大人の遊び場の位置を確立する。

米国駐在で日本を離れた時は銀座のネオンとパチンコが恋しかった。

 

 その後、パチンコがコンピューター化され、景品も現金に交換

出来るようになる。勝負も勝つときは数万円勝つことがあり、

パチプロも登場する。「フィーバー」という爆発的に大当たり

するプログラムも出て来て、パチンコ人気が定着する。

 

 パチンコゲームは今やコンピューターとの勝負であり、パソコン用の

ゲームソフトも結構売れた。店の実機で打てば金がかかるので、

ゲームソフトで勉強するのも結構流行ったのである。

 

 コンピューター・グラフィック(CG)技術の向上もパチンコを面白く

している。又、パチンコ業界が射幸心をあおるのではなく、大人のゲーセン

の方向に進めようとしているのも喜ばしい。

 

 次回はパチンコのプログラムの解析について書いてみる。

パチンコも記憶力の勝負である。