地理を考える(3)

 栃木は日光があり、東照宮華厳の滝を見に行った回数は

はっきりしない。学校の旅行で行ったのが最初だと思うが、

会社の部の旅行でも行ったし、家族で行ったこともある。

 

 埼玉の川口はキューポラのある鋳物の町で有名。

父の姉夫婦がいたので頻繁に遊びに行った。

東武線沿線にはゴルフ場が多く、会員になったり、

メンバーに同伴して良くプレーしに出かけた。

 

 千葉県は両親の故郷だから、親類が沢山いた。

しかし、すでに、殆んどの人間は儚くなっている。

香取神宮のそばに菩提寺と先祖代々の墓がある。

千葉・茨城もゴルフ場が多く、遠くは霞ヶ浦南側から、

手前は千葉までの間のコースでプレーした。

千葉は海岸が観光地だが、昔は潮干狩りの本場だった。

 

 東京は麻布に家があったので、六本木、芝公園・増上寺、

麻布十番、有栖川公園・広尾が遊び場であり、学校暮らしの

場でもあった。高校は九段、大学は巣鴨と遠かったので通学が

大変だった。とにかく、良く歩いた。子供の時、浅草へ遊びに行き、

小遣いを使いすぎ、帰りの電車賃が無くなり、歩いて帰宅した

こともあった。大学時代は渋谷で飲んで都電の線路の上を歩いて

帰ったことが数回あった。就職先は東京駅のそばだったが、

銀座、新橋、赤坂で飲んで、家まで歩いて帰ったことも度々。

女の子とのデートも話をしながら良く歩いた。元々、中学も

高校も、体育の時間は、最初が5キロ程度のランニングのあと、

バスケットとか卓球とか、好きなスポーツのグループに入って

時間を過ごしていたから、東京育ちにしては脚力が発達した

ほうだ。それと、子供用の自転車を買って貰って、早くから

自転車を乗り回し、高校時代には常磐線は柏まで、中央線は

国立まで自転車で走り回っていた。変わった記憶では、竹芝

桟橋とか、月島の岸壁で釣りをしたこと。それと、竹芝桟橋

から細い川を泳いで渡って浜離宮に忍び込んだこともあった。

何処か正確には覚えていないが、芝浦の岸で釣りをしている時

お台場が目の前にあり、泳いで渡れると思い、渡って中に入り

見て歩き、さあ、元の所に戻ろうと泳ぎ始めたら、潮が満潮に

なり、湾内の方に押し流される。必死に泳いで、仲間の所に

戻ったが、海の怖さを知った瞬間だった。

 

 山梨と云えば、富士山だが、残念ながら登山はしてない。

負け惜しみかもしれないが、富士山は下から見る方が

美しいと思う。河口湖とか山中湖は伊豆への通り道で、良く

喫茶店やレストランで休憩はした。南アルプスの一角にある

夏休中の少年専門の学業・宿泊施設を訪問したことがある。

武田信玄武田神社に参詣したこともある。信玄の隠し湯

ような一軒宿の温泉に行ったこともある。ほうとうは3回食べた。

 (つづく)