はっきりしない。学校の旅行で行ったのが最初だと思うが、
会社の部の旅行でも行ったし、家族で行ったこともある。
埼玉の川口はキューポラのある鋳物の町で有名。
父の姉夫婦がいたので頻繁に遊びに行った。
東武線沿線にはゴルフ場が多く、会員になったり、
メンバーに同伴して良くプレーしに出かけた。
千葉県は両親の故郷だから、親類が沢山いた。
しかし、すでに、殆んどの人間は儚くなっている。
千葉・茨城もゴルフ場が多く、遠くは霞ヶ浦南側から、
手前は千葉までの間のコースでプレーした。
千葉は海岸が観光地だが、昔は潮干狩りの本場だった。
東京は麻布に家があったので、六本木、芝公園・増上寺、
麻布十番、有栖川公園・広尾が遊び場であり、学校暮らしの
場でもあった。高校は九段、大学は巣鴨と遠かったので通学が
大変だった。とにかく、良く歩いた。子供の時、浅草へ遊びに行き、
小遣いを使いすぎ、帰りの電車賃が無くなり、歩いて帰宅した
こともあった。大学時代は渋谷で飲んで都電の線路の上を歩いて
帰ったことが数回あった。就職先は東京駅のそばだったが、
銀座、新橋、赤坂で飲んで、家まで歩いて帰ったことも度々。
女の子とのデートも話をしながら良く歩いた。元々、中学も
高校も、体育の時間は、最初が5キロ程度のランニングのあと、
バスケットとか卓球とか、好きなスポーツのグループに入って
時間を過ごしていたから、東京育ちにしては脚力が発達した
ほうだ。それと、子供用の自転車を買って貰って、早くから
自転車を乗り回し、高校時代には常磐線は柏まで、中央線は
国立まで自転車で走り回っていた。変わった記憶では、竹芝
桟橋とか、月島の岸壁で釣りをしたこと。それと、竹芝桟橋
から細い川を泳いで渡って浜離宮に忍び込んだこともあった。
何処か正確には覚えていないが、芝浦の岸で釣りをしている時
お台場が目の前にあり、泳いで渡れると思い、渡って中に入り
見て歩き、さあ、元の所に戻ろうと泳ぎ始めたら、潮が満潮に
なり、湾内の方に押し流される。必死に泳いで、仲間の所に
戻ったが、海の怖さを知った瞬間だった。
山梨と云えば、富士山だが、残念ながら登山はしてない。
負け惜しみかもしれないが、富士山は下から見る方が
美しいと思う。河口湖とか山中湖は伊豆への通り道で、良く
喫茶店やレストランで休憩はした。南アルプスの一角にある
夏休中の少年専門の学業・宿泊施設を訪問したことがある。
ような一軒宿の温泉に行ったこともある。ほうとうは3回食べた。
(つづく)