七夕伝説に疑問あり

 以前は7月7日の七夕伝説に何の違和感も無かったし、

疑いも無かった。 ところが、暇になったものだから、

一寸考えてみた。

 

 幼稚園や保育園を覗くと、篠竹の七夕飾りがある。

昔、色紙の短冊に「願い事」を書いて、枝に吊り下げた

ことを思い出す。

 

 最近「夢は叶う」とか「願えば叶う」という言葉を

頻繁にみかけるが、昔は「七夕飾り」でそれを教えて

貰っていたことに気付く。 

 

 「願い」というと、普通は、神社仏閣に詣でた時に、

お賽銭をあげて「願掛け」をするのが一般的で、

「七夕飾り」に「願掛け」とは変わった習慣だ。

 

 さて、「牽牛・織女」伝説と「七夕飾り」の関係は

どういうことなのだろうか。

 

 大体「一年に一度しか逢うことを許されない」ということが

変ではないか。 夫婦が引き離されるのは、兵役とか、仕事上の

単身赴任とか、最悪、法に触れて塀の中に入れられる、

などいろいろ。

 

 牽牛織女夫婦がいちゃついてばかりで仕事をしないのは

そんな「生木を裂くような」罰を受ける事だろうか。

 

 「七夕飾り」というのは「牽牛」と「織女」が無事に逢える

ようにと祈るための道具なのだろうが、意味が分からない。

 

 古代中国で生まれた話がそのまま現代の日本で語り継がれて

いることも不思議だ。

 

 そろそろ、もっと面白くて子供のためになる童話に改良したら

どうだろうか。

 

 例えば、「牽牛」はアダムの子孫、「織女」はイブの子孫。

天界で「サボり」の罪に問われ、地上に追放された。

天界では妊娠という概念は無かったが、地上では次から次に

子供が生まれ、夫婦は子育てと食い扶持稼ぎに四苦八苦。

それでも、二人は幸せ一杯で、天界に戻りたいとは願わなかった。

 

 「七夕飾り」は二人が早く地球におろして貰えるように

「祈る」道具なのだ。