東京の都電のおもいで

  終戦記念日の今日思い出すのは東京の路面電車

 

 子供の頃から50才まで過ごした港区麻布という土地は、

飯倉、六本木、元麻布、三田台などの台地と26の坂で囲まれた

谷間からなっている。 また、赤坂の米国大使館、千代田区

一番町の英国大使館以外の大使館が集まっている土地柄。

 

 厄介なことに一番近いJR山手線の駅は「浜松町」と「田町」

だが、徒歩では30分以上かかる。 地下鉄日比谷線が出来ても、

近い駅は「六本木」と「神谷町」。 都営浅草線が出来ても

「大門」「三田」くらい。 だから、誰ともなく「麻布は

陸の孤島」と呼んでいた。

 

 然し、「麻布十番」という商店街と「お酉様」がある

賑やかな土地であり、住宅密集地であった。 それを可能に

したのは、市電から始まり、都電となった路面電車網である。

新橋、銀座、丸の内との職住接近地としての有利性は抜群だった。

 

 地下鉄網が充実すると、路面電車の採算性は落ち込み、車が

増えて、交通の邪魔ものと化し、一時はトロリーバスに変わったが、

結局全面的にバスに切り替わった。

 

 然し、高校は九段、大学は巣鴨と都電に揺られて通学したのは

青春の記憶そのものだった。 年を取ると何でも懐かしくなるが、

今はネットで探すとたっぷり写真と説明が見つかる。

 

 都電は47年前の1972年に廃止され、新宿区早稲田~荒川区

三ノ輪橋「荒川線」だけが現存している。

 

 楽しい記事を二件見つけたので、主に写真で紹介してみたい。

 

 一つは一年前の東洋経済ONLINE、南正時氏のリポート:

「昭和の東京を縦横無尽に走った【都電】の記憶」

 

 もう一つはTRAVEL.JP ブログ「北千住・南千住旅行記

(「都電荒川線」の紹介)

 

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 荒川線の車庫のそばにある「都電おもいで広場」や小金井市にある

「江戸東京たてもの国」に行くと実物が展示してあるとのこと。