「武蔵野文学賞」に思うこと

 第一回角川武蔵野文学賞のニュースを本日知った。

8月5日締め切りだから、まだ応募したら間に合うが、

自分は読み専だし、応募する気はサラサラ無い。

 

 然し、20年以上国分寺と立川に住んでいるのに、

「武蔵野」とは何処を指すのか考えたことも無かった

ので、この機会に勉強してみた。

 

 東京タワーの近くで育ちながら、「武蔵野」に住んでいる

という意識は全く無かった。

 

 東京スカイツリーが出来た時、高さを「武蔵野」にちなんで

「634m」にしたと聞いても、まさかそこも「武蔵野」の

地とは思わなかった。

 

 国分寺に住んだときは、すぐそばに「武蔵国分寺」の跡地が

あったので一応調べたら、そこが聖武天皇が741年に全国の

地頭に仏教で国を治めるために、国分寺建立を命じたうちの

「武蔵の国」の国分寺であり、そこが「武蔵の国」の中心

だったのだと思った。

 

 ところが、今回調べたら、「武蔵」の国府府中市

あったとのこと。 国分寺と府中は近いから別に良いが、

いずれにせよ、「武蔵の国」の中心は国分寺と府中の

あたりということだろう。

 

 「武蔵野」という名称は平安時代以来、和歌など文芸

作品に登場していたが、近代でも国木田独歩の「武蔵野」が

有名である。

 

 現代の地域名では下記の通り、実に広い地域を指している。

 

 東京都 23特別区多摩地域島嶼は含まない)

 埼玉県 ほぼ全域

 神奈川県 川崎市横浜市のみ

 

 調べていたら、「角川武蔵野文学賞」が生まれた背景を

見つけて驚いた。

 

 それは「角川武蔵野ミュージアム」が埼玉県所沢市

「ところざわサクラタウン」にあり、雑誌「武蔵野樹林」が

創刊されたとあり、これが「文学賞」の背景だろうと

読んだがどうだろうか。