急に気温が下がったが、散歩には有難い。
然し、寒くて長袖の袖を下した。
歩き過ぎて足ががたがた。
急に気温が下がったが、散歩には有難い。
然し、寒くて長袖の袖を下した。
歩き過ぎて足ががたがた。
朝6時の気温が27度という予報を見て、久しぶりにカメラを
持って散歩に出掛けた。
結構風があり、秋の予感がした。 空の色も方角によって
まちまちで面白い。
珍しいことがあった。 それは小説本に関してのこと。
最初は図書館で借りて読んでいた。 一度に10冊まで
借り出せたが、持ち歩くのが大変だから5冊くらいにしていた。
ところが、期限前に返すのが面倒になった。
それからは中古本専門店とか通販で購入している。
多作作家の場合、うっかり同じ作品をダブって購入して
しまうこともある。
借り出して読んだ。 それがきっかけとなり、10冊近く
中古文庫本を購入した。
それらの中に「無伴奏」が二種類あった。
珍しいことに出版社が違っていた。 表装が違うので、
別の作品と思ってしまったようだ。
癖で、最初に解説を探した。 出版社が違うから
当然だが、解説者も違っていた。
解説を読んで、この作者の作品を読む順番を知った。
すなわち、1990年の「無伴奏」、1996年の「恋」、
1998年の「欲望」が【恋愛三部作】であり、「無伴奏」を
最初に読むのが正しいらしい。
胃カメラは前夜の食事のあと、食べ物や飲み物を胃に入れなければ
良いだけだから、大して苦労は無い。
然し、下部内視鏡検査とか、注腸検査とか、大腸癌の検査及び
癌切除のための腹腔鏡手術の前には、1~3回の腸内洗浄が必要である。
鮮明な映像が見られるように、腸内を徹底的に洗浄することである。
やり方は昔のままで、余り進歩しておらず、前日は流動食。
朝、病院に着いたら下剤を飲んだ後、2リットルの洗浄液を飲みながら、
便が透明になるまで、排泄を繰り返すのである。
洗浄時間は個人差があり、朝から夕方までかかることもある。
検査なら前日の流動食、当日の洗浄作業から検査の2日で終わる。
然し、オペとなると、検査・検査で毎週、洗浄が必要となる。
洗浄から検査は身体に負担がかかるから、1週間に1回に抑え、
2~3週間かける。 最後、オペの前前日に洗浄し、次の日は
1日絶食。 それでようやく準備完了で、次の日がオペとなる。
腸内洗浄の苦痛は経験しないと分からない。 上で所要時間に
個人差があると云ったが、何か対策があるのかも知れない。
例えば、前日のみ流動食、というのを、もっと前から流動食を
始めるのも一つの方法だろう。
最近、ネット上を賑わせている黒汁は宿便を剥がして、
体外に出す、デトックス作用があるという。 その結果、
ダイエットになるそうだ。 宣伝文句だから効果は
試さなければ分からないので、飲み始めてみた。
今年3月に横行結腸癌を切除し、1年後の来年春に下部内視鏡
がある。 この黒汁のデトックス効果がほんもので、腸内が常に
きれいになり、腸内洗浄が楽になったらと淡い期待を持っている。
昨日、戦後の1946年、1ドル=360円の固定為替レート
制定から、1971年、変動為替レートになり、現在の1ドル=
約100円までを振り返った。
非常に珍しいことだが、父親が昭和初期に米国製の自動車を
使うタクシーの雇われ運転手をしていた。 お金を貯めて
自分で車を持つのが夢だったらしい。 今で云う個人タクシー
である。 その時の為替レートは1ドル=1円くらいだったと
聞いていた。 (米国車を買う夢は叶わなかった)
それで、戦前の為替レートを調べたくなって、ネットで検索
したら、2~3データが出てきた。
それを要約すると、年度末の対米ドル円レートは下記の通り。
1874年(明治7年) 0.974 円
1918年(大正元年) 2.01
1925年(大正14年) 2.451
1926年(昭和元年) 2.05
1932年(昭和6年) 4.67 (注)
1941年(昭和15年) 4.26
(注)満州事変勃発、株式・商品相場暴落
これだけ強かった日本円だったが、敗戦で日本経済が壊滅的な
ダメージを受けたから、救済措置として360円固定制度が
導入されたのか、インフレにして日本経済の立ち直りを
抑え込もうとしたのか。
「東洋の奇跡」はどう見たらよいのだろうか。
海外旅行に出掛ける時でも無ければ、外国通貨~円交換レートを
考えることは無い。 然し、日本は石油をはじめ、原材料を輸入、
自動車、電気製品、機械などの製品を輸出して、輸入に必要な外貨を
獲得している。 専門用語では「交換レート」は「為替レート」と言う。
米国トランプ大統領が自国製品の輸出力を支援するために、
為替レートに介入しようとしている。 米国ドルが強いと外国通貨に
換算した時に値段が高くなる。 だから、米国ドルを弱くすれば、
米国製品の値下げになり、売り上げ増につながると言う考え。
第二次世界大戦後、連合国45か国が米国ニューハンプシャー州
ブレトン・ウッヅで国際金融会議を開催、戦後の経済再建のために
「固定為替相場制」の導入を決めた。 1949年4月25日施行。
日本円は1米国ドルに対し360円に固定された。 このお蔭で
日本は1950~1970年の高度経済成長をやり遂げ、「東洋の奇跡」
と讃えられた。
1971年のニクソン・ショックで固定制は崩れ、変動制に移行した。
小生は業務が輸出だったので、為替レートは毎日注目していた。
1972年に1ドル300円を割った時はヒヤリとした。 1978年には
200円割れもあった。 1994年には100円を割った。 米国ドルの
最安値は2011年の76円台である。 この時は、1ドル=1円にまで
行くのでないかという恐怖を覚えた。 その後は100円~110円で
落ち着いている。
海外旅行も行きやすくなったし、輸入品の値段が下っている。
日本は、人件費、税金の安い海外生産を増やし、国内価格の
引き下げ、売り上げ増・利益増につなげている。
海外でも喜ばれ、日本のユーザーも価格安の恩恵を受けている。
米国でも外国メーカーが現地生産をもっと増やせば、
米国の不満を和らげられるのではないか。
為替レートの操作より、税金面の優遇策など、海外企業の
誘致策を増やすのはどうだろう。